写真集

十二の風景と十二の小さな物語

このページでは著者のオリジナル曲をBGMに写真作品をご覧いただけます。

過ぎた日々
追悼

十二の風景と十二の小さな物語

光琳擬金屏風野鳥図

光琳擬金屏風野鳥図(こうりんもどききんびょうぶにやちょうのず)

1月のある朝、庭に竿を立て
リンゴをさして鳥を待った
硝子越しにカメラを構えているところに
鳥はやってきた
リンゴを貰ったお礼のつもりか
鳥は色々なポーズをとってくれた
ひどい二日酔いの私に人の気配を感じなかったのかも知れない

◇ほんの僅かな雪が積もっただけで野鳥たちには食べるものがなくなるのだろう。庭先を何度も行き来するのでリンゴを竹竿にさして立ててみた。鳥は二羽やってきて大きい方の鳥が先に降りてきた。物置の戸に、私がいる部屋の窓ガラスの日射が反射して金屏風を立てたように輝いた。私は、急いでカメラをとってシャッターを押した。鳥がなぜ警戒しなかったのか不思議だった。前夜、遅い新年会があってけだるさの残っていた私に人の気配を感じなかったのかと思っていたが、もしかして、光が反射して私の姿が見えなかったのかも知れない。偶然とはいえいい写真が撮れた。自宅庭にて。

静寂 北上河畔の二月

静寂 北上河畔の二月

じっと立つ展勝地(てんしょうち)の桜
流れを止めた北上川
影を映す川面
空も山も川も木も
春を待つ静寂
この眠りがいい
眠る季節があっていい

◇JR北上駅近くのビジネスホテルに泊まった翌朝、六Fでエレベーターを待つ間ふと東の窓から外をみたら、ちょうど朝日が差してくるところだった。ガラス越しに見るせいかまった<静寂の世界だった。この静寂を、日が昇らないうちに撮りたいと思って、急いで部屋に戻りカメラをとってガラス越しにシャッターを押した。北上川の水面が僅かに揺れているだけで、他に動いているものは何もなかった。

春を待つ三月の梢

春を待つ三月の梢

(梢たちの会話)

今年も寒い冬だったね
風が強かったね
枝が折れそうだったよ
でももうすぐ春が来るよ

梢が赤みがかってきたよ
樹液が動き始めたんだよ
空が明るい青になったよ
春はもうすぐだね

◇冬も終わりに近い三月中旬、酒田から仙台に戻る朝、きれいに晴れた日に恵まれた。前夜は相当荒れたのだろう、枝に着いた雪が所々盛り上がっていた。私は車を止めて、空を背景に写真を撮りたくなった。小枝は赤みがさして、春が近いとささやき合っているように見えた。

新緑

新緑

たとえていうなら
赤ちゃんの肌のような
赤ちゃんの産毛のような

この世に生まれたばかりのように
四月の山は
柔らかい萌え始めの木々がいい

◇四月も中旬を過ぎる頃、山の木々が白くなって、やがてほんの短い間だけ淡い緑が山肌を覆うときがある。気を付けてみていると本当にほんの僅かな期間なのだが、私は一年中でもっともいい季節に感じる。暖かい日が続くと薄緑はあっという間に深緑になって、冬から春、そして初夏に季節は移る。この頃は一番いい季節だ。

青葉

青葉

あらたふと 青葉若葉の 日の光

松尾芭蕉が
日光で詠んだこの句は
きっとこういう場面であろうか

秋のもみじも
春のもみじも
もみじは光を透して見るのがいい
五月 光が強くなってきた

◇五月の光はもうすっかり夏の強さ。あるとき、日を避けて大きなモミジの樹の下に入った。見上げると、光を透して木の枝と葉が陰影を作り、そこに緑色の光が重なってとてもきれいな絵ができていた。光自身に影はないが、私には、光の影という言葉が浮かんだ。葉の裏側から写真を撮ると思いがけない光と陰が映る。

孤舟

孤舟(こしゅう) 水に浮かぶ一隻の小舟

所は名取川の河口 閖上
時は六月
見に行っていつもあるものではない
待っていて見られる風景でもない
霧も雲も鳥も
悼を差す一人の漁師も その影も
みんなの偶然がかさなってできた風景
自然とはそういうもの

孤愁という言菓もある
漁師の胸中やいかに
六月 梅雨の合間

◇宮城県名取市の閖上漁港はあの大津波の激甚被災地。今は茫々とした風景になっているがかつては朝市が立って多くの人で賑わっていた。私も夏は朝の四時頃に起き出していってよく海産物の店を眺めた。この日、朝市から名取り川沿いに出るとアサリを捕る小舟が何艘か朝露の中に浮かんでいた。ちょうど満潮だったのか、川の流れは止まっていた。濃い朝露の中、木々は島のように影をなし、鴎が飛び交って水墨画の世界だった。漁師は何を想っているのか、私はしばらくそこに立って漁を見ていた。

街中の入り日

街中(まちなか)の入り日

暑かった一日が終わる七月の夕暮れ
夕陽が汗をにじませながら落ちてゆく
街中に沈む夕陽
こんな景色を見るとは
思いもしなかった子供の頃
今懐かしむ
菜の花畑に人り日薄れ

街中の入り日
思えば遠くへ来たものだ
夏の夕暮れ

◇二階にある事務所の西に小さな窓があって、七月にはちょうど正面に夕陽が沈む。その日も朝から立て込んだ仕事があってもうやめようと窓から外をみるとまさに日が沈むときだった。沈むというより、西空に浮いていた。電柱も電線もビル建物も、風景には邪魔者扱いされているが、こうしてみると夏の夕暮れのけだるさを演出しているように思える。

夏

ここは月山道の中腹
遙かに続く朝日連峰
山の向こうは庄内平野
遠くの山が白く薄れて空になる
夏雲が空に浮く
青は八月の色

◇空はなぜ青いか
こういう景色を見ると思わず口に出してしまう。こうしてみると私は山形月山道路を随分往復しているようだが、ちょうど頂上付近に見晴らしのいいところがあって、そこは車が止められるので、この景色を四季折々何度も見ている。中ではやはり夏がいい。空気が澄んでいると、遠くの景色はどんどん空気色になってしまうのがよくわかる。

黄金月照松島湾満月

黄金月照松島湾満月(おうごんのつきがてるまつしまわんのまんげつ)

時は九月 旧八月十五日、天候は快晴、
午後から気温が下がり、空気は透明感を増した。
もしかして、松島に満月が浮かぶか、
ふと、そんな気がして西行戻しの松公園に車で行く、
既にいた愛好家の何人かに混じり、待つこと30分、
日が沈み、
月は奥松島の山から
静かに、
薄明かりの残る松島湾の向こうに顔を出した。
辺りが暗くなると月は高度を増し、
やがて、波一つない海を黄金に照らし出した。
日本三景松島の名月である。

◇月を撮っても豆粒ぐらいにしか写らない事を知っていたので、どんな写真になるか対した期待もせず、ただ、海面の輝きに焦点を当てて撮影してみた。勿論、月の位置は意識している。するとどうだ、自分の予想以上にカメラが月を捉えてくれた。
松島の浜に降りる前に西行戻しの松公園(美しい松島が見られるので西行が戻った)があって冬は雪、春は桜、そして夕陽に映える松島湾が見えて隠れたビュースポットになっている。

紅葉

紅葉

唱歌、秋の夕陽に照る山紅葉 は
照る山もみじをいうのか
山の紅葉が照るというのか

赤ちゃんの掌のようなあの葉を、
いろはにほへと、とつい数えるから
いろはもみじというのか、

いやいやそうではなさそうだ
色は匂えど散りぬるを
あの いろはにほへと から来ている、と解釈したらどうなるか。

人の世の常ならざるあわれ
匂うようなあでやかさも、
やがて散るもの
せめて一瞬(ひととき)の紅葉を愛でよう
十月は彩りの月

旅愁

旅愁

更けゆく秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとりなやむ
恋しやふるさと なつかし父母
夢路にたどるは 故郷(さと)の家路
(唱歌 旅愁)

十一月も末
風が冷たい夕暮れだった。
日が落ちて足下から寒さがしみてきた

黄昏 人はなぜ淋しさを感じるのか。
わけもなく淋しくなるときがある

枯れ葉 風に舞って 晩秋

◇仕事で岐阜県の恵那市に何年も通うように行っていた。この日は11月の末、日が落ちて当たりが急に冷えてきた。製紙工場の煙がなびかせ冷たい風が頬をさす。遠い昔、子供の頃、どこかに使いにいった帰りだったろうか、自転車のハンドルを持つ手が凍るように冷たく痛かった、あのときの西空と同じような風景だった。

望郷

望郷 師走は故郷を想う

もしも会えるなら、
会ってみたいあの人に
今のこの私に 何を語るだろう
父が去り母が往き
ふるさとが遠くなる
ふり返れば心が傷む 今ならわかるのに
夢のようなあの夏の日は
二度と帰らない
あれも夢 これも夢
みんな夢 遠い夢

若い日々の色は褪せても
私には今がある
雨も風も 花も嵐も
つかの間の夢の中
(CD 望郷-過ぎた日々 より)

◇何年か前に巷間流れた吾亦紅という歌に「今はいとこが住んでる家に昔みたいに灯りがともるという歌詞が出てくる。父母が亡くなると故郷がだんだん遠くなる。歳とともにふるさとを懐かしく思う気持ちは強まるのに、皮肉なものだ。旅先で、ふと出会う景色に故郷を思い出すのもそういう年齢なのだろう。宮城県北部栗原にて。

十二の風景と十二の小さな物語